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立山信仰、徳川家の姫通じ布教 H22.5.3 北日本新聞より
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となみの歴史ウオーク(6)殿様街道/石畳に往時の面影 北日本新聞2010年5月5日掲載
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干し柿物語
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霊峰医王山
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志功ゆかりの地 福光
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坂本焼
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木津焼き(河北郡木津) | |||
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日蓮大聖人NHKドラマに出演 | ||||||||||||||||||||||
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私の好きな「海の幸カレー」 | ||||||||||||||||||||||
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仏の世界を表した茶道 | ||||||||||||||||||||||
一日の始まる朝に、食事の前後に、仕事や勉強の休息に、お客のもてなしにと、お茶を飲む習慣は、私たちの生活と深い関わりがあります。こした喫茶の習慣は仏教とともに中国から日本に伝わったものです。日本で、お茶が最初に飲まれたのは天平元年(792年)4月、大般若会で聖武天皇が招いた100人の僧に茶を賜ったのが最初とする記録が残っています。この時は、中国風の団茶(たんちゃ)と称するお茶が使われました。 その後、本格的に日本でお茶が飲まれるようになったのは、臨斉禅を伝えた栄西(えいさい)が、中国の宋(そう)から帰国の際に茶の苗木を持ち帰ったことに始まります。栄西は、日本に喫茶の文化を持ち帰り、その著「喫茶養生記」に、茶の効能、製法、服用法を説き、茶祖と呼ばれました。 栄西は初め抹茶を禅僧が修行する際の眠気覚ましとして取り入れたが、後に嗜好用、儀礼用としても流行、武家社会にも影響を与えました。庶民の人々に広まったのは室町時代以降のことで、最初は屋台の立ち飲みスタイルから始まり、家庭でも飲まれるようになったのは江戸時代に入ってからです。 茶が大衆化する一方で、室町・桃山時代には陶器や漆器の発達に伴い、禅を主体とする侘数寄の茶道が誕生した。還俗した僧侶で、茶の湯の祖と言われる村田珠光(1422〜1502年)に始まった茶道は、千利休 (1521〜1591年によって大成されるが、その和敬静寂の心が、清浄無垢の仏世界を体現しているのは仏教の精神が生きているからです。 仏教の精神が生きる「和敬静寂の心」とは「和」お互いに心を開き、和を保つ。「敬」お互いを敬い合う仏教的精神。「清」心身ともに汚れなく清らかであること。「寂」静寂な心を持ち続けること。寂滅は仏教の究極の目標。仏教学者松涛弘道薯「仏教」より |
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